弁慶に関する代表的なことわざ・弁慶の立ち往生

弁慶の立ち往生とは、最後まで堂々と引かず、勇ましく戦い抜くことです。義経を守って立ったまま絶命したという伝説に由来しています。

少しだけ歴史の話をしますと、義経を主君として弁慶は平氏と戦ってきたのですが、義経をうまく利用しようという後白河法皇の企みもあって義経は兄の頼朝に追われる身分になってしまいます。
時には吉野で過ごしながら逃亡を図り、何とか逃げながら奥州平泉までやってきます。この間に義経の奥さん静御前は子どもを身ごもり出産するのですが、男の子だったので生まれて取り上げられ、すぐに赤子はで殺されて由比ヶ浜に捨てられました・・。悲しいお話です。

奥州平泉は藤原氏が勢力を誇っていまして、藤原秀衡の元で義経と弁慶は過ごすのですがやがて藤原秀衡が亡くなると、後を継いだ基衡が頼朝に裏切ります。
そして弁慶の最期は義経が自害したときに戦って立ったまま死んだとされていまして、これが弁慶の立ち往生です。

弁慶のように義経のために死んでも倒れず戦い抜く、このような死んでなお主君のために忠誠を表すようなことを総じて言います。
ちなみにこの弁慶と義経の忠君もあり田辺市と平泉町は姉妹都市提携を行っています。

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