弁慶社は弁慶松と呼ばれる地元の方がその生涯を讃えて植えた松の根方にあったお社です。弁慶松は五代目まで片町の一角に植えられておりましたが、昭和五十年に枯死し、六代目は田辺市庁舎前に植え継がれています。五代目弁慶松の伐採以降に有志の手で三十年に渡り守り継がれていましたが、鬪雞神社の一角に新たに弁慶社として建立されました。

「勧進帳」や「船弁慶」をはじめ、歌舞伎や人形浄瑠璃などでもその名を知られる武蔵坊弁慶ですが、怪力・豪傑の代表格として語られます。京都・五条大橋での義経との出会い、生涯一家臣として幾多の危機、苦難からすくい、奥州衣川で義経を守り壮烈な立往生を遂げた壮絶な最期など、多くの逸話に垣間見えるその奥深い人間性は、「忠孝の鑑」として後世令和を生きる今私たちの心を惹きつけています。
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